人形物語

淵と志ゑさんの昭和

こんにちわ 淵と志ゑです

何処にでもいる平凡な女ですが、どんな時でも精いっぱい生きて来ました

ご覧頂く皆様の人生と、重ね合わせて共感して頂く事が出来ましたら幸いです


 

誕生(明治41年)

 

三月の雪の降る日、私は生まれました

 

初の女の子の誕生に家族は喜んだそうです


 

 

10歳(大正7年)

 

野山を駆け回るお転婆だった私でしたが、10歳にもなるとだんだん赤いおべべの似合う女の子になってきました


 

 

17歳(大正14年)

 

女学校を卒業すると私はすぐにお見合いをしました

 

お相手は花嫁修業で通っていたお針の先生の一人息子さん

 

恥ずかしくてお顔も見られませんでした


 

18歳(昭和元年)

 

新しい年号の年、私はお嫁入りしました

 

旦那様は優しい優しい尋常小学校の教員さんでした


 

21歳(昭和4年)

 

後家の義母はあんなに望んでくれたのに、嫁になった途端に厳しい姑になりました

長女の春子をつれて実家へ里帰りする事だけが、その頃の一番の楽しみでした


 

31歳(昭和14年)

 

戦争は頼るすべもない家族を残したまま、夫をあの世へ連れて行きました

 

この写真がお父さんとの最後の家族写真になりました


 

37才(昭和20年)

 

戦争は終わりました

 

世の中には新しい時代の波が押し寄せました

 

稼ぎ頭になった私は、来る日も来る日もひたすらミシンのペタルを踏み続けました


 

43歳(昭和26年)

 

長女の春子がお嫁に行きます

下の兄弟のめんどうをよく見てくれた本当に優しい娘です

 

お父さん、あなたに春子の晴れ姿見せたかったです


 

50歳(昭和30年)

 

「お母ちゃんありがとう」

そう言って義母は亡くなりました

 

お礼を言うのは私です

 

夫が亡くなった後、泣いている暇なんか少しもありませんでした

おばあちゃんと二人で無我夢中で子供たちを育てて来ました

 

おばあちゃんの小さな遺骨を抱いて私は初めて声を上げて泣きました


 

51才(昭和31年)

 

よくしたもんですね

 

次から次に孫が誕生して、私が今度はおばあちゃん

 

あー

やっぱり私には悲しんで泣いている暇なんかありません


 

72歳(昭和55年)

 

恋?

 

さあ、あったかも知れませんね

 

だけどそれは謎にしておきます

              

 


 

81歳(昭和64年 平成元年)

 

昭和が終わり、新しい年号の平成を迎えました

長く生きて来ましたが、いつも家族が支えでした

 

お父さん 

いつか私が天国行った時、よく頑張ったと褒めて下さいね

 

だけどね、お迎えに来てくれるまではまだまだ頑張りますよ

早くに亡くなった貴方の命を頂いたのですもの

 

 

 

 

淵と志ゑさんの物語はこれでおしまいです

 

と志ゑさんは昭和を生きました。そして平成も・・

と志ゑさんの物語は、あなたの周りの何処にでもいる美しく生きた日本女性の記録です